Saturday, October 18, 2008

採用人事の話2

教員人事は微妙で、しかも採用する側される側、双方に将来がかかっているので、どうしても秘密主義が支配し、従ってゴシップとスキャンダルの舞台となる。
おまけに、これほどねたみそねみの的となり易い話もない。噂は暴露話とデマとが混交し、話が大きくなっていく。

個人的に見聞きしたり経験したことは、あまり大したことはないのだが、それでも思い出すとなかなか感慨が深い。
公募で採用人事に応じ、書類選考ではすばらしい掘り出し物と思われた候補者が、面接してみると、できることはできる、しかし協調性はどうなのかと疑問符がつく。できるだけ長く勤務していただいて、という当方の希望にも、先のことは分からないとのお答え、博士論文を仕上げる予定を聞くと、その予定はないと返事が返ってくる。極めつけは、ロースクールの構築に苦労している中での募集なのにロースクールは大学の役割でないとのたまう。
この人は冷やかしですか、いやユニークさが売りなんでしょうと、面接後の検討では担当者間で会話が盛り上がって楽しかったが、時間はすっかり無駄に終わった。
うそをついて面接を乗り切れというわけではない。率直なのはいいことなのだが、そこは人格がにじみ出るし、少なくともロースクールを開設している大学にロースクールには協力したくないと考えている人が応募すること自体、考え物であろう。まあそんなことをいえば法学系でロースクール反対論者はみんな成城しか就職口がないということになってしまうが。

しかし面接でできる人材を落とし、代わって採用した素直な人材が、以後長きにわたってその頭の悪さを学内外にさらし続けているのには参った。
学会報告でもバカの壁をいかんなく発揮し、よせばいいのに他大学の研究会に出かけていっては出来の悪さをさらし、以来開催通知もこないというが、そのココロを察する能力もあるはずはないので、本人そんなもんだと思っている。学内紀要には査読などないが、編集委員がこれはひどいと差し戻したのは空前絶後で、しかし本人以外はみんな納得しているところが怖い。
人事に失敗すると、そういう人とずっと同僚にならなければならず、またあのとき落とした人にもその後の経過は見え見えだから、結局は人を見る目がなかったということを自分たちもさらけ出しているわけだ。

ということで、人事に焦りは禁物である。

さて今回の採用候補者はよく知っている人で、人格は申し分なく、学問的にも極めて優秀。受けてくれるとよいのだが

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