Saturday, October 25, 2008

ロースクールのゼミ

学部教育とロースクールとでは、教育目標が違うのだから、方法が違って当たり前である。
教える内容は同じ日本法だから、基本的には変わらないはずだが、実務法曹に必要な法的知識やモノの考え方とスキルを教えるのであるから、内容的にも学部教育とは違ってくる。
法律基本科目については変わりようがないとしても、重点の置き方は違ってきて当然だ。
問題はその重点の置き方であって、受験生は新司法試験に直接役立つ内容方法を求める。しかし法科大学院の制度目的からいうと、実務家としての最低限の能力を身につけることが目標で、そのための教育内容方法を重点的に行うべきということになる。新司法試験は、そのような実務家養成教育をきちんと身につければ、当然バスしてしかるべきなのである。
ロースクールのゼミは学部教育のゼミと違うという話をするつもりが、つい横道にそれたが、ゼミの内容方法を考える上でも以上のことは当てはまる。実務家養成に必要な知識やスキルを身につけるには、法律知識を具体的事案に当てはめて、一定の解決を導く能力が基本的に求められているので、そのための知識習得と問題解決の訓練を積み重ねるしかない。
こういうと簡単なことに思えるかもしれないが、必要な知識は基本科目に限っても膨大だし、解決されるべき事案のパターンも千差万別、その上ルール自体にも解釈の余地があり、具体的事案の当てはめも、微妙である。きちんと勉強しているロースクール生なら誰しも同意してもらえると思う。
こうした能力を身につけるためには、一応の知識を習得した上で、ケーススタディを徹底して繰り返し、事実の固まりの中から問題解決に必要な重要事実を見いだして法的に整理し、解決に導いていく能力を鍛えるしかない。
その解決も裁判所の目から見た解決にはとどまらず、当事者のそれぞれの立場からのありうべき解決を構想する能力が必要である。それは法律や判例を無視した一方的な叫びであってはならないのは当然であって、実現可能性は当然要求される。だからといって、判例は絶対的な存在ではなく射程も限られ、変更もありうるのだから、判例べったりの解決では依頼人の立場にたった解決といえないということがありうる。
もう一つ、法的解決は裁判ばかりでなく交渉によっても図られる。よってもというか、むしろその方が圧倒的多数であり、そのためには正しい解決とは別の視点で、スワリがよく受け入れ可能な解決を組み立てることが必要である。それもまた法曹に必要な能力であり、ロースクールで鍛えるべき内容だ。

講義科目では基本的知識の習得を、ゼミでは当てはめや解決の技法を、それぞれ学ぶというのが分かりやすいが、限られた時間内では初めから十分や予習をした上で、法律や判例に示されたルールがどう適用されるかを学んで行くしかない。ゼミではさらに個別の学生の理解に応じた指導をする環境の中で、法曹が求められる問題解決能力を深めていく。

さてこうなると、ゼミと講義はともにケーススタディとなり、問題にどう解決を付けるかの訓練となり、あたかも答案練習と同じになる。しかしそれを非難するのは大間違いである。
他方、問題解決のための答案を書くと言っても、表面的な論点を見つけ、判例通説を機械的に当てはめる作業を繰り返すだけでは、いくらやってもできるようにはならない。
上記のような事案に即した解決を導き出すには、事実関係をしっかり踏まえて可能な解決策を、あるいは望ましい解決策を見出していく訓練ができなくてはならないのだ。

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