講演その1
今日は専門家相手の講演会で、レベルを気にすることなく好きに話せたので気持ちがよい。
ただもう少し準備する時間が欲しかった。
プレゼンファイルも使い回しが多いので、以前の講演に来てくれた人にはバレバレである。
明日の講演は市民向けなので、より気を使う。しかし出来ることは限りがある。
準備も早々に切り上げて、昨日のゼミの宿題をみてやらなくてはならない。
Labels: 講演関係
旧 Legal Issues in University 法律にまつわる四方山話を展開するはずが、日常の仕事に追われ、些事日記と化しております。
今日は専門家相手の講演会で、レベルを気にすることなく好きに話せたので気持ちがよい。
明日の講演は市民向けなので、より気を使う。しかし出来ることは限りがある。
準備も早々に切り上げて、昨日のゼミの宿題をみてやらなくてはならない。
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後期から、授業の都合で、少し離れた場所にある研究棟にも研究室を使えるようになり、便利なのか不便なのかは議論の余地があるが、ともかくも今までの手狭な研究室に入りきらなかった本を分蔵することにした。
といっても作業するのは業者なので、私は立ち会うだけ。
でも仕事にはならず、ブログを書いている。
Labels: 大学教員の仕事
午前中の仕事は、詰まらん議論につきあわされてうんざりしたものの、自分の守備範囲は貢献できたので、満足。
夜間授業では準備不足がたたり、その場では答えられない宿題が残ってしまった。
その合間に、学生と面談をすぐすませ、連載原稿を一つ仕上げることができた。実は9割方できていたのだが、忙しさにとり紛れて寝ていたのを、催促メールで思い出し、仕上げたのであった。
そういうわけで、ほのかな達成感とともに、連チャン講演準備にかかるところである。
Labels: 学外のお仕事, 学部教育、講義、試験
今日は午前中に学外の仕事があり、夜は夜間授業。事実上ゼミと化している。
明日も予定でびっちりだし、週末の連チャン講演は準備不足決定だ。
先週末に、大学同期の弁護士と二人で飲みに行った。
しかし話題は昔の思い出が終わるとロースクールと弁護士会の内部事情、それに裁判員制度、要するに司法制度改革ネタである。
裁判員については、今朝のニュースで最高裁長官人事をいきなり東京高裁長官から直接任命するというらしく、しかもそれが裁判員制度導入シフトなのだと言うから、驚きだ。
最高裁長官は大法廷以外の裁判をしないが、下級審でも最高裁でも裁判経験が乏しい人が憲法判断や判例変更の当否判断を主宰するというところに大きな不安を感じる。日本ではウォレン・コートのような、長官のキャラの立った司法ではないということか。
さてロースクールは今後どうなっていくだろうか?
弁護士さんたちが一般にロースクールを非難するのは、その教育能力の低さにある。それは教育内容方法ともに問題がある。
内容的には、学問としての法律学が実務教育に必要なコンテンツと齟齬を来しているという点であり、その間の調整が十分なされないままスタートしてしまった難点がある。
齟齬というのは、例えば18世紀の犯罪学に精通した学者が現在の因果関係論を講じるといったことではなく、理論的な正確さや一貫性と判例実務の間にあるソゴである。そこを接合しない勝手な理論は、実務家教育の内容として相応しくない。もちろんだからといって学生諸君にありがちな、判例といわれているところにべったりで何でもすませようというのが良いわけではない。判例といっても事案を離れて一人歩きしたものは一つの学説にすぎないし、事案が違えば別の解決がありうる。
理論に裏打ちされた一貫した法の理解は欠かせないが、同時に判例の解決を無視した理論は空論であり、その架橋が必要である。
個々の教授が教える内容も、この架橋を踏まえた内容であるべきだが、伝え聞く授業内容は必ずしもそうでないようである。
教育方法面では、過剰なソクラティックメソッドから学生も教員も楽な一方的講義方式に揺り戻しているようだ。
しかし双方向授業というのは別にソクラティックメソッドだけをいうものではなく、むしろ典型的なソクラティックメソッドは効果が乏しいと、アメリカ人もいう。
そうではなく、必要な双方向性とは、インプットしたものを適切にアウトプットする機会が確保された授業であり、また限られた授業時間内で学習効率を高めるのに必要な予習復習の機会を与えることである。
そうした方法は難しいことではないが、手間はかかる。その手間をかけるには、少人数教育は欠かせない。あるいはチューターとの連携が必要だ。
こうした内容方法両面での教育能力を高める必要が、ロースクールには求められているのだが、今の改革方向はどうも明後日の方向ではないかと思われてならない。
Labels: 法科大学院教育、司法試験
いよいよ週末に2連チャン講演をしなければならない。一つはほぼ準備オーケーだが、もう一つは客層が読めないため、方針が定まらず難儀している。
しかし、授業や講演準備で仕事した気になっていると、原稿が進まない。
学部教育とロースクールとでは、教育目標が違うのだから、方法が違って当たり前である。
講義科目では基本的知識の習得を、ゼミでは当てはめや解決の技法を、それぞれ学ぶというのが分かりやすいが、限られた時間内では初めから十分や予習をした上で、法律や判例に示されたルールがどう適用されるかを学んで行くしかない。ゼミではさらに個別の学生の理解に応じた指導をする環境の中で、法曹が求められる問題解決能力を深めていく。
さてこうなると、ゼミと講義はともにケーススタディとなり、問題にどう解決を付けるかの訓練となり、あたかも答案練習と同じになる。しかしそれを非難するのは大間違いである。
他方、問題解決のための答案を書くと言っても、表面的な論点を見つけ、判例通説を機械的に当てはめる作業を繰り返すだけでは、いくらやってもできるようにはならない。
上記のような事案に即した解決を導き出すには、事実関係をしっかり踏まえて可能な解決策を、あるいは望ましい解決策を見出していく訓練ができなくてはならないのだ。
ゼミでは、自作の演習問題を学生にやらせるという方法である。
演習本を使う場合、そこで引用されている学説判例を一つ一つ調べて読んでまとめて、それを紹介するという作業を必要とする。その上で、その問題自体に対する自身の意見も生まれてくるだろうし、解説に対する疑問も生まれてくるというものである。
そのようなプロセスを導いてくれた演習書が昔はあったものだが、今はどうも適切なものがない。
そういうわけで自作した問題を使うのだが、なかなか難しいところがある。判例べったりの事案ではつまらないし、学生も判例べったりのレポートをしてそれ以上前に進まない。
問題作りは手間がかかるのである。
スタバもハロウィンの季節である。
採用人事はコネかと若い院生に直接聞かれることは滅多にないが、そんな話をしているのを横で聞くことはある。
そもそも公募制をとっていない場合はコネ以外の何物でもないのだが、ただこの世界はコネがあっても業績がなければダメである。
公募制をとっていても、いわゆる出来レースの場合は、コネがものをいうということになる。しかしその場合も、コネで採用の対象にしても、業績がなければダメである。
要するに、コネ採用だと非難されるのは公募の出来レースや非公募制のことで、採用候補者へのアクセスが限られているというところにあるのだ。しかしいずれにせよ、採用が決まるためには、それなりの業績がなければならない。
実際出来レース公募の場合も、既に意中の人がいる採用担当者ですら翻意するほどのよい人材が見つかれば、そちらに乗り換えることだってある。現に身近な研究者でそういう例があった。その場合、意中の候補者候補には採用を前提に応募してほしいと伝えてあるのが常だから、そのあげくにダメでしたということになれば、その人とも、その人を紹介した人とも関係がまずくなるわけだが、ある程度経験を積むと、その辺は慎重になる。絶対確実というような言い方はしないで、逃げ道を用意しておくのである。
また、非公募制で、こちらから採用を持ちかけるケースでも、採用担当者限りでは、あるいは審査委員会限りではオーケーが出たのに、教授会が通らなかったこともある。大学によっては異例ながらないわけではないということになるが、また大学によっては日常茶飯事に近いくらいあることもある。その場合は、一人二人の反対ではなく、教授会メンバーが多数反対に回るということなので、何らかの政治的な動きが原因か、はたまた傍目にも分かる候補者の非力さが原因である。 後者のケースで人事が失敗に終わると、採用担当者はとんだ赤っ恥を掻くことになるが、そういうものだと割り切れば割り切れないことではない。
教授会で否決されたからといって、みんながみんな東大教養学部のケースのように辞職するというわけでもないのだ。
公募と非公募(一本釣り)とのそれぞれにも、採用する側としては一長一短を感じざるを得ない。公募なら一応来たいという意思を持つ人を対象として審査すればよいので、採用を決めてから断られるという苦労はない。これに対して一本釣りタイプだと、学内的にこの人と決めても断られることがあり得る。
他方、公募なら常勤の職を持つ人、つまりは経験者で有能だということだが、そういう人が気軽に応募することは難しいので、よほど何か職場を変わりたいという事情を抱えている人しか応募してこない。それ以外は若手の、初めての就職というレベルである。そういう中に有能な人が含まれているかどうかは、結構ギャンブル的である。対して公募なら有能な人を一本釣りするわけだから、そういう苦労はない。
昨今の法学部就職事情は、ロースクールのせいで人材が枯渇し、特に需給バランスが崩れている商法・民訴・行政法は人手不足もはなはだしいとのことである。それにしては就職できない助教も院生もいるような気がするが、まだミスマッチは残っているのかもしれない。
就職を望む側からすると、すがるような思いでJREC-inを見たりするし、採用側でもReaDを物色したりするのだが、なかなかいい人材には出会わない。
Labels: 大学行政
土曜にはかねて催促されていた連載を一つ、仕上げて送ったが、週末は休みらしく今に至るまで受領通知がない。不安になるではないか。
連載といえば、もう一つの連載はどうなったのか、いつもならそろそろ催促されそうな頃なのだが。催促をトリガーとして仕上げる癖自体がよくないのかな。
そのほか来年のシンポの準備をそろそろしろと、鬼が笑うような連絡がきた。
11月はじめにもプロットを出せという非現実的なことをいう。
でも放置はできないな。
それより今週末にある重要会議のため、明日には資料を出さねばならない。また来年の研究会の費用を申請している先から、検討用に今までの成果を説明しろと言われていて、それがやはり明日までっぽい。
今週はまさに忙殺されそうだが、来週末には講演を2つ連チャンで引き受けている。忙殺は今週だけではないのだ。
教員人事は微妙で、しかも採用する側される側、双方に将来がかかっているので、どうしても秘密主義が支配し、従ってゴシップとスキャンダルの舞台となる。
個人的に見聞きしたり経験したことは、あまり大したことはないのだが、それでも思い出すとなかなか感慨が深い。
公募で採用人事に応じ、書類選考ではすばらしい掘り出し物と思われた候補者が、面接してみると、できることはできる、しかし協調性はどうなのかと疑問符がつく。できるだけ長く勤務していただいて、という当方の希望にも、先のことは分からないとのお答え、博士論文を仕上げる予定を聞くと、その予定はないと返事が返ってくる。極めつけは、ロースクールの構築に苦労している中での募集なのにロースクールは大学の役割でないとのたまう。
この人は冷やかしですか、いやユニークさが売りなんでしょうと、面接後の検討では担当者間で会話が盛り上がって楽しかったが、時間はすっかり無駄に終わった。
うそをついて面接を乗り切れというわけではない。率直なのはいいことなのだが、そこは人格がにじみ出るし、少なくともロースクールを開設している大学にロースクールには協力したくないと考えている人が応募すること自体、考え物であろう。まあそんなことをいえば法学系でロースクール反対論者はみんな成城しか就職口がないということになってしまうが。
しかし面接でできる人材を落とし、代わって採用した素直な人材が、以後長きにわたってその頭の悪さを学内外にさらし続けているのには参った。
学会報告でもバカの壁をいかんなく発揮し、よせばいいのに他大学の研究会に出かけていっては出来の悪さをさらし、以来開催通知もこないというが、そのココロを察する能力もあるはずはないので、本人そんなもんだと思っている。学内紀要には査読などないが、編集委員がこれはひどいと差し戻したのは空前絶後で、しかし本人以外はみんな納得しているところが怖い。
人事に失敗すると、そういう人とずっと同僚にならなければならず、またあのとき落とした人にもその後の経過は見え見えだから、結局は人を見る目がなかったということを自分たちもさらけ出しているわけだ。
ということで、人事に焦りは禁物である。
さて今回の採用候補者はよく知っている人で、人格は申し分なく、学問的にも極めて優秀。受けてくれるとよいのだが
教員人事については、特に季節があるわけではない。まあ大体公募の場合は、5月か6月頃に公募して夏の終わりに審査して場合により面接、結論がでるのが秋、教授会や理事会を通るのが晩秋といったところだろう。
今回は公募ではないので、この時期に研究会で会うついでに意向を打診してみた。
候補者は若手のホープだが、今の勤務校に採用されて間もない。昔だったらそういう人は引き抜きを遠慮したものだが、ロースクールたち上げの時の引き抜き合戦ですっかりその種のたがは緩んだ。私も移転の話があって、迷っていたら私を勧誘した先生が移転するということになっていた。
そんなのはかわいい方で、研究科長として割愛依頼に回っているその人が転出予定者だったり、いったん決まった転出先を反古にしてよそに移ったり、人格的にどうかという例もごろごろしていた。
今回の相手も少し訳ありなのと、生まれ故郷と離れてしまうという問題があり、少し考えさせてくれというご返事であった。
プロポーズしたのに喜んではくれたもののイエスとはいってもらえないじょうたいである。
これまで、若い頃には科研費に出しても採択されないことが結構あり、といっても2回か3回くらいだったと思うが、その度に落ち込んだりもしたが、今になってみると、落ち込むだけの暇があったということかもしれない。
Labels: 研究費
昼前の授業と夜の授業、その合間にカレーを食べる。
Labels: 講義、演習
毎年この季節は研究費の申請業務が降ってくる。
出張して研究に必要な資料を集めたり、人と会ったり、直接の成果にならずとも重要な研究活動なのである。
そういうわけで、この季節は多忙にさらに負荷をかける羽目になる。
大体の定番は、ご存じ科研費、学術振興会と文科省の補助金である。
その他には、COEに狂奔する人々もいるが、私には関係がない。
この科研費について、採択されるかどうかはコネだとか、不透明だとか決めつけて申請すらしない人がいる。しかし申請しもしなければ採択されないのは当たり前なのである。また申請するに当たっては、それなりにきちんとした研究計画・研究成果の見込みがなければならず、宗でなければ申請書の欄が埋まらないというものだが、申請しなければそうした研究をまとめ上げる必要も機会もない。自然と、研究からは遠ざかることになる。
申請書を書いてもそれで終わりではなく、現実に採択されればそれを遂行しなければならない。
最後は報告書を書かねばならず、成果は公表しなければならない。
こうして見ると、結構大変であり、面倒だからやらないという人がいても不思議はない。
Labels: 研究費
昨日は熱心な学生のおかげで、授業が盛り上がった。
Labels: 学部教育、講義、試験
ハッピーマンデイは学校の曜日ごとのバランスを崩すので、休日にもかかわらず授業があったりする。
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今週は学会があるので、本来は出ない予定だったが、報告を頼まれてしまったのでやむを得ず今日、研究会に出た。
学内の研究会では大学院生や教員が交互に専門分野に関する報告をする。
S先生と女子学生との話の続きだが、何回もインタビューをするうちに、女子学生は以前からS先生と親しくしていて、ちょっとどうかと思うやりとりもあったと言い出した。
Labels: 大学行政
今日は午前中学内プロジェクトの仕事をし、午後、同僚との打ち合わせ、アルバイト学生との打ち合わせ、そして会議である。
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少し前からの懸案にハラスメント問題がある。
セクハラならば、それもハードな奴になると議論の余地がないが、研究室に2人きりで3時間いたというのが客観的事実で、後は両当事者の言い分が真っ向対立しているとなると、内部調査ではもちろん外部委員がいても何ともしがたい。
先日話が出たS先生のケースがまさにそれで、被害を訴えた女子学生は気分をほぐすためと言って触られて、だんだん服も脱がされていって、下着姿にされてと、おいおいこれはまずいだろと誰しも思うようなことをいう。
親御さんならそれを聞いただけで逆上して大学に怒鳴り込んで当然。現にそうなった。
一方のS先生、研究室ではテスト結果について話をしていただけで、納得されなかったから時間がかかっただけだという。泣き出されてしまったので気分をほぐすように言ったりお茶を入れてあげたりしたが、手も足も触れていない、服は上着を脱いだことはあるが下着姿になどなっていないという。
見方によってはずいぶん怪しいが、正直に話しているともいえる。
ほかの学生の話も広く聞いてみたが、研究室で長時間個人指導という経験は何人かからでてきた。しかしセクハラされたという話は誰もしなかった。
膠着状態なのであった。
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今日は学生さんたちが沢山来る。
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学部長から降ってきた仕事が、最終的に失敗に終わった。
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先ほど終わって研究室に戻ったところ。
今日の研究会は集まりが悪かったが、レポーターの一人までもが休んだので、私にお鉢が回ってきたではないか!
若い先生は基本的に時間的に余裕があると言っても、学内の雑用を拒めないという難点がある。
優秀でその人がいないと回らないという人なら、上の先生にこちらから話を通すと言うことも考えられないことはないが、普通は優秀な若手ほど上手に時間を確保するものである。
いや上手に時間を確保するからこそ優秀と目される業績がついてくるのか?
たぶん両方であろう。
研究会で聞いたところによると、もう5年以上前に企画がつぶれたと思われていた論文集が、今度出版されるらしい。しかし編者の一人の大先生もそのことを知らなかった。一体どうなっておるのか?
また比較法をやっていると、ついつい歴史にのめり込んでしまい、院生にも同じ道を歩ませ、師弟共々廃人への道から抜け出せなくなるケースがよくあるが、最近の大学ではそんな廃人が首にされるらしい。
可哀想なのは院生だけかと思ったら、先生もうかうかしていられないのである。
金曜日は久しぶりに研究に明け暮れた。
Labels: 研究会
今日も大変忙しい。
会議終了後、夜の講演用バワポを、残り半分を作った。あれもこれもと、時間がないとまとめられず、長くなる。
その合間に12月シンポの準備チームのメールに目を通し、注文を付け、別のシンポ準備にも口を出す。来週の研究会の出席者確認も、問い合わせに1度で返事がこないのでいらだつ。
バワポを何とか仕上げ、今度は買い物。それも一緒に仕事をしている同僚が、忙しいからと言って人に押しつけたものだ。全く誰のためにやってあげていると思っているのか? 私より今忙しい同僚はそういないと思うが。
ともかく買い物を済ませて研究室に戻ると、出版社から封書が二つ来ていた。一つはご丁寧にも速達。
催促かな!
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講演終了。
なんだか疲労感がある講演であった。
授業より長い時間しゃべるのだから当たり前か。
遅い夕食をとり、まったりしているところ。
本当はそんなまったりしている余裕はないのだが、なんとなくエグゾースティドである。フランス語ならエピュイゼか。
大変忙しい。
成績評価は、もちろん建前としては公平公正に行われなければならず、受講生の成果や能力をきちんと示したものでなければならない。
Labels: 法科大学院教育、司法試験